今回は四国犬の第二弾です(243)。昭和36年には産地から四国犬が姿を消したとされています。また阿波犬を探求します。

参考文献
○愛犬の友編集部「日本犬中小型読本」(誠文堂新光社、1961)
○沢辺賢次郎「日本犬のすべて」(徳間書店、1963)
○高久兵四郎「犬の講座 日本犬編」(新小説社、1937)

こんにちはチコまろチャンネルです今回は 土蔵国犬の第2弾になります昭和30年代 の四国犬と泡の犬についてお話しします 前回は戦前戦後から昭和20年代の状況を 見ましたがその後の四国犬を当時の書籍の 記述から探ります参考文献は昭和36年に 発された愛犬の友編集部の日本県中小型 読本です執筆者は前回と上しで四国犬の 性能と特徴についての記述です戦前の代表 は畑では高知の岡崎市のごま号であり本川 系は必の朝春号熊号と岡山の安原市の楠号 であったそれではまずイラストを見ていき ますこちらが高知さんのごま号で畑の代表 拳です次はこちらの犬で車である上が 作り出した号で本川ですそしてもう1は こちらさんの楠ゴですこれらが戦前の四国 犬の代表件ですそして戦後は日本建立の 最高ととに多くの人々が阿本川旗上島前と 犬探しに出かけたのであるが戦前のような 名けを発見することができなかったのみ ならず最近はこれらの山奥の人々が わざわざお金を出してとんでもないちゃう ちゃう系の犬を某海から送ってもらいそれ を飼育するのを見て安然としている有様で あるちゃうちゃう系の口子はあったのか防 海とはどこなのかなど少し含みのある文面 です次はそんな状況の中戦後の四国犬は どうなったのかについて昭和36年現在で はほとんどの四国犬は都会で飼育されて おり原産地いわゆる本川や旗には犬が全く いなくなってしまったと言っても過言では ないまた系統的には2つが交流してしまっ ているのが現状であるごま系は戦前に最も 盛であったが特別な系統繁殖がなされず 濃厚な遺伝質を維持することができなかっ た それでも当時の四国犬は無の合計小風合計 という形でその系統が残されていたそれで はまずムの号についてこちらのイラストが ムの号です昭和18年の春に食料男の高知 県では犬を買い続けることが困難となった ので必死は食料の豊富な香川県の同行者に 発頭の犬を委託飼育したそして純血四国犬 作出研究会を作り系統繁殖の計画を立てて 昭和20年に無の号を残した これが終戦後の土佐本件の長春系の原 answerであるそしてその無の号は 昭和23年の秋に終戦最初の東京全国点で 文部大人賞を獲得した次に無の合計の特徴 と欠点について無合計は神経質であり 痩せ型であるしって体型的にかであっても 骨量において欠けることが多いまた神経室 であるだけに主人以外に頭を撫でさせない 過敏差もあるかかたちは気品に富み目切れ はすごく色そも濃厚であるそれでは次に

小風豪についてこちらのイラストが小風豪 ですム号と時を同じくして昭和20年頃に 広島県の温度の島で岡林都市が小風号を 作り出しておりそれを高知の北村業者が 入手して昭和24年に長野県松本市の全国 店で文部大臣省を獲得した次は小風合計の 特徴と欠点について小風合計は体質上人間 の肥満型炭重質に相当しいわゆるごま号に 似ているので一般に高知の人々に好かれる 骨量に富み重厚感があるしかし額にシが 出ることが多く顔に気品はなく目切れは かばしからずことに対明色素が冥界では なくただ拷問に黒色色素があるのみで一般 ひもの色素が現時てきていることが多々 あるまた大王にアンダーショットを出す 続いて小風豪の系統とその流行について 小風豪は不形の直径から言えば楠系とも 言うべきであるしかしその系統図を熟し すれば無の号における長春号の位置に母型 ではあるが超密目号がある無号が長春号の 遺伝を脳化して受けているように長風号は 超密目号の遺伝を最も脳化して受けている と言える長光号は岡山信原氏のコ号の直子 であるから長風豪はコ号の遺伝室を多く 持っているとも言えるのである小風豪は 元日ほの中上の思考にかない彼の最も推奨 するところとなり北村業者はこれに便乗し て日本中を宣伝して回って一時は全国的 流行になったその岡山のごときはムノ系 抹殺会のごと団体を作って小風系統を愛育 したほどであり中条司も展覧会において 小風形を好んでとるような風であった高知 ではそのために支部の長老2人が犬から 離れるほどであった高知はごま系由来の 好まれるところであり北村業者は小風ごま 系のごとに宣伝していたが氏は小風豪にも いくらかごま号の血が混じているがごま号 の直系は別でつっているものと認めていた ここに保存と販売の目的の総意が生じた ようです中上司は小風豪は極めて良い計画 的な系統繁殖でありムの号は謹慎後輩で あると言っていたがそれは全く反対で岡林 氏はそこにあったオスメスを掛け合わせた だけだがムの号の場合は一定の計画の元に 作出されたものであるただ不と母型のさわ れズの構成は全く同一であり従って無の号 ガ長春号の小風豪ガ長みつめ号の遺伝を 持っていることは明瞭であるその遺伝室の 優劣は長春号土長見つめ号との優劣である から当然その優劣は明瞭であろう小風号に よってごま号のごとき犬を作出しようとし た高知の人々は失望してついに小風号の 直子である菊丸号までも温度から持ってき たが作出は成功しなかった小風合系統の名 は純粋な風のみではできず必ず長春系か

ごま系の血の入ったメスによって生まれて いるそれは何を示唆するのか小風形の原村 の名著試験は豊永市の初風号小柳市の小玉 号西川市の金玉号などであるそれではそれ ら小風号形のイラストを見ていきましょう まずこちらは松長市の初風号ですもう1等 のこちらは西川市の金玉号です次に流行 から遠ざかった無の号系統のについて徴集 号はすでに置いており無の系の名けはスム 市の学春号があるも生後6ヶ月頃に原因 不明で抗がんを晴らしたためか小出しが 悪く種犬として活躍ができなかったここで 登場した2等の犬のイラストを見ていき ます1投目はこちら徴集号です2頭目の学 春号はこちらです一次は小風系に圧倒され たかに見えたムの系も少数の岡山の具眼の 死によって愛光され現在ではは村上市の 長龍号の直子長目号の子である岡山の 小ぐらの城田号またムの親子がけの岡山の 奥の市のムの号がタオスとして活躍中で あるそれらのイラストも見ていきましょう ジタ号はこちらですそして岡山の奥の市の ムの号はこちらになり ますさらにもう1等のイラストはこちら また岡山の東イガ号はムの号に最もよく似 ている昔のムの撲滅会の人々もムのの地を その飼育拳に入れつつあるとも聞いている 一般にはこのように分離されることはなく 両系の根が盛に行われている結論として 戦後昭和36年の四国犬の系統は小風形と ムの系そしてその今光であり当時の産地に ついては小風系は高知にムの系はむしろ 岡山に主にあるとも言える四国犬の有料な ものは岡山に流れていたようですねそれで は本題のもう1つコメントでも要望があり ます泡の犬についてまずは評判の悪い多 兵士老師の昭和12年に発された著書犬の 口座本件編から見ていきます紀州犬には 骨格がたま島型のイノシシ犬とスピード型 の歯犬がおり昭和12年頃にはイノシシ犬 は少なく鹿犬が多かったしかし安県はこれ と反対で同等には未だイノシシが多く鹿は いなくなったのでイノシシ犬が多く鹿犬が 少ないのであるそのタイプはいずれも熊の 県とよく似ているのである紀州と阿は海一 へを隔てており若原から阿は死の間にある ので人も常に服し犬もこれに伴って血液を 交互に混じたものかあるいは紀州から渡っ たものかは不明であれど共通点が多く ほとんど同系と見られるそしてそれから 24年後今回の参考文献昭和36年の記述 です剣木さんの北は兵家の残党が隠れたと 言いそのイ系の犬は泡の犬と呼ばれていた 全に見られた泡の犬は必ずしも優秀では なかったがかなり多くいた特に泡系の道号

の血流は当時にまで至っていたが戦後の 山出し犬には全く優秀なものを認めなかっ たチコマロ考察としては泡の犬だけでは ないのですが優秀権がいなければ保存され ませんのでそれら多くの地域の犬は絶滅し ていったと考えられますそれでは最後に 四国犬のまとめです参考文献は昭和38年 に発された沢次郎師の著書日本県の全て です四国地方で優れた中型日本件を算出 するのは高知県の土佐軍の本川村方面と秦 軍の一体そして愛媛県の宇島方面等で いずれも四国の中部西部であり交通の弁の 悪い産官部に限られているこれは野獣特に イノシシの外から矢を守るためにどうして も良い日本権が必要であったことと交通の 不便さが要件の侵入を阻み純血を今に残す ことができたという2つの事情によるもの でであるなお四国犬は高知県さの日本県 いわゆる土佐県とは全く異質の犬であり 土佐県が明治以後に外国の巨大権との考察 によって作られた犬種であるのに対し四国 犬は太古から漁師と共にイノシシや鹿を 飼っていた実量権であることは言うまでも ない土佐党県の始まりは大型日本県だった ようですが現在の風貌はこんな感じの犬 です話を四国犬に戻しまして本川系の犬の 特徴は非常にバランスの取れた筋肉質の体 で本川村に生まれ後に岡山に移出されて 多数の子孫を残した楠号はその代表的な 名言と言われている経路はごま黒駒が多く 黒の4つ目もよく見られるこの系統の優秀 権は多くが高知士や県外に流出したが本川 系の名は西日本各地で持てはやされている このイラストが人気を誇る本川系の代表件 楠号です高知県秦軍と愛媛県宇島地方の犬 は畑と呼ばれているこの系統は系に比べる とややずんぐりした体系で東部をはめ前 半身の発育が良く見るからに貫禄がある 経路は種として5魔であるこの地方も水田 が少なく乏しいヤの殺もを荒らすイノシシ を防ぐ必要から長年の間に立派な日本件を 作り出したものと思われるこの系統も多く は都会地に流出し原産地に優秀権は ほとんど残っていない畑の代表権はこちら ですまた戦前の代表権は昭和12年に文部 大臣を受賞したごま号であり今なお多くの 子孫に伝えている戦後は本川系と旗系が かなり交流しまた戦前はあまり問題とされ なかった中層軍系の犬も加わり全四国を 代表しうるような名言の作出に向かって いる現在の四国犬は原産地よりもむしろ 山陽や四国など西日本一円の都会地に多く の優秀権が見られるさて今回の四国犬の第 2弾はいかがでしたでしょうか昭和30年 代は都市で買われた犬になってまっていた

ようですがその環境で四国犬の本質は育ま れていたのでしょうかさて次回の予告なん ですが参考文献に形されていたこの犬日本 県として紹介されていましたコメントでも 要望がありました3周権いわゆる三河県 です内容的には短編になるかもしれません が動画にしようと思います戦後昭和の年代 が進むといよいよ販売業者の繁殖権が登場 することになり様々な不安を感じている チコまチャンネルでした [音楽] E

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